開催レポート Pilot #2 「白と黒の狭間で正義を問い続ける天邪鬼的ディレクター」の場合

「鯖サンド」といえばプレイスコーヒーのサバサンドか、本イベントか、というくらいに名が浸透してきた。記念すべき第二回の「鯖サンドの輪郭の照らし方」では、ゲストとして和田仁志さんを迎え、クロストークパートナーとして大学二年生の山藤優花さんが担当した。

和田さんは現在、コミュニティFM局・FMクマガヤのディレクターを勤めている。

しかし、現在に至るまでラジオディレクターとは関係のないようなキャリアを積んできている。

「バンドマン、メーカー勤務、ラジオディレクター」

これだけでも、どのようなことが繋がって次のキャリアへステップアップしていったのか気になる所ではあるが、バンドマン時代には、高校生がライブを開催する手助けをするイベントオーガナイザー、メーカー勤務時代にはネットラジオのイベントスタッフなど様々なことを同時並行で行なっている。

事前インタビュー in HIKICAFE

和田さんのキャリアの歴史は、HIKICAFEさんにて山藤さん×和田さんで行われた事前インタビューの時点で語られていた。

和田さんと初めて出会ってから3時間近く対談した山藤さんの心に残ったのは、

「天邪鬼・正義」

これらの言葉を軸に事務局メンバーで思案したテーマが、

「白と黒の狭間で正義を問い続ける天邪鬼的ディレクター」の場合」である。

12月1日の鯖サンドに挟む具材が決定した。  

12月1日 イベント当日 〜和田さんの価値観を探る〜

晴天に恵まれた師走の始めの日曜日、鯖サンドの輪郭の照らし方が開催された。

会場の準備が着々と進み、開場の30分前、恒例となりつつあるいつもより多めに店頭に並んだサバサンドの一つをを山藤さんは頬張る。 

参加者が続々と集まり、会場の緊張感も高まってきた14時、クロストークがスタートした。

今回の司会である飯野さんは、本イベントについて、「経歴や価値観は様々であるが、その人のどのようなキャリアの経験がその人の人生の価値観を作るのか、に注目してもらいたい。」と語った。

和田さんの歩んできた人生の中で、どのような経験が、選択が、出会いが、今の和田さんの人生観を形成していったのか。

和田さんの「天邪鬼観」と正義

一見して難しく見えるテーマについて「説明責任を果たさなければならない」と意気込んだ山藤さんは、和田さんの「天邪鬼観」について切り込んでいった。

和田さんは、自身の物事の考え方について、「周りから見たら天邪鬼、しかし、逆に全体を見ることができる人ではないのか」という。

AかBか選択しなければならない状況に置かれた時、和田さんはマイノリティ(少数派)の方に向かうという。もし、マイノリティであるAにいた人たちがBに来たらまた、和田さんはBへ移動する。

このことについて、和田さんは、「マイノリティにも目を向ける点がある。だから、マイノリティに行く。それが周りから見たら天邪鬼な人に見えてしまうのかもしれない。」

その考え方に山藤さんは正義を感じるという。

マイノリティを守るために少数の考え方にも目を向けるのである。

「世の中にある問題は白と黒どちらかに答えを置かなければならない。しかし、白っぽい黒もあれば、黒っぽい白もある。そのグレーな部分を常に悩み続け、答えを探し続けなければならない。」

白か黒かの極論という形での答えを見つけ出し、完結させるのではなく、マイノリティとマジョリティの間のバランスを和田さん自らが取りに行く、これが和田さんのいう全体を見ることができる人であり、「正義」である。

「俺は持っている」

和田さんのキャリアの歴史を山藤さんらしく切り込んでいく。

現在のラジオディレクターに到るまでのキャリアを示したスライドを映し出すと、

「右肩下がりなんだね。」

と一言ツッコミ。

会の端々で和田さんの鋭い一言がプレイスホールを笑いに包む。

和田さんにとって、バンドとの出会いが、人生の頂点と人生のどん底を経験するきっかけとなった。

中学、高校入学当初、明確な目標もなく、やりたいことを見つけたとしても、何かにつけて諦めてしまっていた。

そんなとき、音楽と出会う。

バンドを組んでギターを演奏している友人がいた。和田さんはそれまで音楽とは縁がなく、そのギターを演奏する友人をバカにしていたほどだった。

しかし、文化祭で演奏する友人の姿を見てバンドのかっこよさを知り、ギターを始めたという。

「俺は持っている」

高校二年生になって、周りとの技術習得のスピード感の差に気付き、

プロになりたい、ではなく、才能を持っているのだから、

プロになるものだとさえ思っていた。

東京での初回のライブで声をかけられ、CDデビューを果たした。

このCDデビューが人生の頂点を味わう瞬間であり、どん底の始まりであった。

一枚目が売れない、売れなければ二枚目を出すことができない。

そんな負の連鎖が続く毎日だった。

「才能の底が見えた気がした」

自己否定を繰り返し、精神的に追い込まれる日々のもう一方で、明るい道筋があった。

「葵ロック」である。

葵ロックは、高校生による高校生のためのロックライブイベントであり、和田さんはオーガナイザーとして高校生を支えていた。

機材の扱い方がわからず、ライブを開催することへの不安を抱いていた高校生を成長させていくという熱い想いを持っていた。

高校生と接していると、音楽を始めた頃の楽しい気持ちを思い出すことができたという。

音楽という同じフィールドでも、プレイヤーとオーガナイザーという二つの顔を持ち合わせていた。

バンドで人生のどん底を見て、辛い日々を送る、そんな日々を支えていたのもまた、バンドだった。

親方の存在 

バンドマンとしての自信を失っていた頃、兄から作業服を渡され、「明日から来い」と兄が働く会社へ連れ出された。

その会社は、建設材を製造する企業。

その中でも工場勤務、バンドマンとはかけ離れた職業であった。

やりがいが感じられない

と、仕事を始めて約一ヶ月、同じことの繰り返しの毎日に嫌気がさしていた。

そんな時、会社の先輩の勧めでモデルルームへ行った。

そこで和田さんが見たものは、毎日向き合っているものの最終形態であった。

クライアントによってはめ込まれた床を見て、「ものの見方が変わった」と和田さんは話した。

今座っている椅子も、椅子を作るための木材も、それらを繋ぐネジでさえ作っている人がいる。その人たちがいなければ完成しないものは沢山あるのだ。

仕事へのプライドが生まれたという。

和田さんの工場では、仕事の中核を担う、歯が抜けていて缶コーヒーを飲む、昔ながらの職人がいた。

「親方」と呼ばれていた。

親方がいなければ仕事が回らない、そんな時、親方が倒れてしまった。

親方の穴を埋めようと現場がピリピリしている中で、ある先輩社員が後輩社員に強く当たってしまっていた。

「飯のタネを誰が教えるものか」と、仕事を教えようとしない寡黙な親方が、和田さんとの最後の面会で思わぬ伝言を残した。

「できない人間に対して責めるな、いろんな人間がいるから。」

親方のこの一言は、和田さんが大切な決断をする時、人間関係に苦しんでいる時、常に思い出す言葉となった。

仕事を効率的にできる人もいれば、できない人がいる。得意な分野もあれば苦手な分野もある。世の中には様々な人がいて、その一人一人をどのようにして活かしていくか考えるきっかけにもなったという。

極論を語ってはいけないメディアの世界

製造業に勤務していた頃、同時に参加していたネットラジオ、その繋がりから2019年4月に開局を迎えたコミュニティFM局・FMクマガヤの立ち上げメンバーに誘われた。

それまでとはまた違ったラジオという仕事への不安から一度断ったというが、自分の住む地域に新しいラジオ局ができ、立ち上げから関わることのできるというまたとない機会に、ラジオディレクターという世界に飛び込んだ。

和田さんは、まだ悩み続けているという。

メディアという世界は、事実を事実として伝えるものであり、極論を語ってはいけない。

常に中立でなければならない。

白でも黒でもなく、グレーな部分に正解はあって、その正解を常に探し求めているのである。

和田さんは自身のキャリアについて、少し前の自分が今の自分を見たらきっと驚くだろうと話していた。

層の厚い経験をしてきた和田さんだからこそ持ちうる和田さんの価値観。

調整役に回る和田さんは、白と黒の極論に挟まれ、悩みながらも、グレーな部分を正義が貫いている。


執筆

安藤理布
望月友貴
山藤優花
MOTHER SHIP Project

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